法話<その一>

失礼いたします。 妻です。
過日、坐禅会にいらっしゃった方より「法話をブログで見たい」とのリクエストがあったので代筆(代打?)します。
住職より、布教師養成所での辻説法(道端に立って行き交う人々に説法をする)を載せたらどうか、とのことなので御参考になれば幸いです。

~~~~平常心是道~~~~~

皆さま、幸せに生きたいですね。その幸せな生き方を仏教では説いております。
では、仏教では何と言っているのか・・・。
むかし、中国が唐といわれていた時代に、二人の僧がいました。この二人は師匠と弟子の関係なのですが、ある日、弟子が師匠に「仏道、仏の生き方とは如何なるものでしょうか」と問いかけます。すると、師匠は「平常心こそが仏の生き方だ」と答えました。
平常心・・・これがなかなか難しいのですね。
私が以前、托鉢という行をしていた時のことです。
ある日、少しお酒の入った感じの方が私の前に来てこう言いました。「あんた、こんなところで何をしているんだ?」
私は「托鉢という行をしています。」と答えました。
すると、「いいな、坊さんは暇で。皆齷齪汗を流して働いているのに…、その必死で稼いだお金を、ただそこに立て、ムニムニ訳の分からんことを言っているだけで貰おうって言うんだから…。何が坊さんだ、偉そうな格好をしてやっていることは最低だな。」
 その言葉を聴いた私は、さすがにカチーンときまして、
「私はただここに立っている訳ではない。托鉢という修行をしているのだ。托鉢というのは、皆さまに喜捨する喜びを与えるためにしているのだ・・・・・」などといろいろ説明をしましたが、その方は一聞く耳をもってはくれません。そのうち、飽きたのか、どこかに行ってしまいましたが、わたしは腹が立って腹が立って、帰りの道中もムカムカ、ムカムカ、お寺に戻ってもムカムカ、ムカムカしておりました。
 怒りというにはなかなかおさまらないですね。本当に憂鬱な時間を過ごしてしまいます。もったいないですね。
困ったことに、わかっていてもなかなか治りません。その後も、たびたび腹を立ててしまう、そんな私でありましたが、ある日、私は素晴らしい方丈様に出会い、救われました。
その方丈様と初めてご挨拶をしたとき、方丈様が額を畳にピタッとくっつけて、深々とお辞儀をしてくださいました。私も慌てて、畳にピタッとくっつけました。もういいかな?と思って頭を上げますと、その方丈様は、まだ頭を下げたままでした。お年は私の親と同世代です。そんなお方が、この私に丁寧なお辞儀をして下さったのです。
それから、その方丈様のことが気になり、いつもそのお姿を追っておりますと、方丈様は年配の人に対しても、若い人に対しても、お檀家さまに対しても、いつでも畳に額をくっつけて、丁寧にお辞儀をされていました。
私は「これだ」と思いました。
兎角人間は、好きな人には丁寧に接するが、嫌いな人には冷たく当たってしまいがちです。でも、それでは駄目なのです。どんな人にも平等に、同じ様に丁寧に接すればいいのです。そうすると、自ずと人間穏やかになります。
 托鉢のときも、私は無意識に無愛想に対応していたと思います。もし、私に絡んできた人にも、同じ様に丁寧に接していれば、違った結果になっていたかもしれませんし、何よりも、自分が腹を立てることは無かったでしょう。
 人間は誰しもが仏を備えています。同時に鬼も備えています。人の鬼の面を見て、冷たく当たったり、腹を立てたりすることなく、その人の仏を見て、同じように丁寧に接しましょう。
 そこには、自分の仏が現れます。穏やかに生きることができるでしょう。そして、その姿によって、相手の仏も現れるかもしれません。
 「誰に対しても、同じように丁寧に」致しましょう。    終

この辻説法は住職にはいい刺激になったようです。 
後日、聞いた方からお手紙を頂き本当に感激し、励みになりました。 こうして手紙という形に残って手元にあるだけで「頑張ろう」と思えます。 I 様本当にありがとうございました。心穏やかに過ごされますようにお祈り申し上げます。

辻説法、山梨でも出来れば・・とは思っているようです。 ただ、歩きの人の多い巣鴨と違い、車生活の山梨ではなかなか難しいですね~
もし現実になりましたらまたここでお知らせいたします。 

暖かい日差しと冷たい風、皆様どうか御自愛ください。 花粉症の皆様、あと少し頑張りましょう~!

                                    合掌

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