桜の癒し

失礼いたします。 妻です。
甲府の桜は散りだして、青々した葉っぱが顔を覗かしてくれ始めました。
「津波の被害にあいながらもたくましく咲く桜」の嬉しいニュースもありました。

「ここは凄く大きい地震と、津波があって沢山の尊い命が亡くなったんだよ。でも、日本中の人が皆で頑張って、今はこんなに綺麗な桜を見せてくれているんだよ。感謝しようね」
なんて百年後、こんな会話が生まれていれば嬉しいな~。

もし悲しみの分だけ桜を植えたら、百年後は日本の、世界の桜の名所になるでしょう。

今は先の事を考えると、重い気分になってしまうかもしれません。
先のブログにも書きこみましたが
「過去は実体がない。また未来も。今、この時を生きている」
般若心経には教えが説かれています。

もし、未来の自分にあったなら「あの時、皆で頑張る事が出来て良かったね」と言われたら嬉しく、私は私なりの「今」を生きていきたいと思います。

未来の自分・・・明日の私に「今日中に子供の支度、しといて~」と言われているような…。
日々是好日!!
                              合掌

絆    (寺報『せんりゅう』第17号掲載)

三月十一日、午後二時四十六分、宮城県沖を震源とする大地震、その地震によって発生した巨大津波が東北、関東をも飲み込みました。
 この未曾有の大災害は、テレビで中継され、多くの方々が目にされたことと思います。映像で映し出された津波の様子は、本当に衝撃的で、今でも脳裏から離れません。
 皆さま方もきっと心を痛められ、ご自身の胸に迫るものがあったことでしょう。私たちに今、何ができるのか?何をしなければならないのか?一人ひとりに問われています。
 海外のマスメディアは日本人の対応について称賛の声があがっているそうです。冷静で、協力的で、助けあいながら生き抜いている、と。
 道元禅師さまのお示しになられました『正法眼蔵・菩提薩埵四摂法(しょうぼうげんぞう・ぼだいさったししょうぼう)』のなかに「同事(どうじ)」という教えがあります。
 「同事」とは、安易な妥協や同情を言うものではなく、相手を敬い、少しでも相手と同じ立場に立とうと努力をすることです。
 「同事をしるとき、自他一如なり」。同事とは、自分と他人の区別がなくなり、ひとつになることです。
 相手の姿に自分自身を置き換え、自分自身に相手の存在を認め合いながら共に生き続けるという願いを行じて行くところに、お互いの信頼関係が深められていくのです。
 私が育ってきた頃の日本は、豊かさを競い合っていたように感じます。競争社会に身を置き、いつも人に負けないように、人よりもいい学校に、いい会社にというように…。私も例外ではありませんでした。
 どこかしら「自分さえよければいい」という思いがなかったでしょうか。
そのことが、「勝ち組・負け組」というような、格差社会をつくり上げてしまったのではないでしょうか。
 今、そのような価値観はすべて壊れてしまった。そう思う方が多くいらっしゃることを私は望みます。
 そして、今この瞬間にも、大きな不安を抱えている被災者のことを、自分自身のことと同じように想う努力をしてまいりましょう。今こそ日本がひとつになるときです。
 今回の寺報について、発行自体をどうしようかと考えました。しかし、こんな時だからこそ、仏教の教えを流布し、大災害を乗り越えていく助けになれば、と考えて発行させて頂きました。
  今回の災害で犠牲になられた方々に、春彼岸法要では、授戒をさせて頂きました。授戒とは葬儀の一番大事な「要」の部分です。名前も知らない方々ですが、遠い山梨の地から、一僧侶の祈りが届けば幸いです。一緒にご参加頂いた檀信徒の皆様にもお手伝い頂きました。心のこもったお経でした。本当にありがとうございました。
 まだまだ被災地では日常とかけ離れた生活を余儀なくされています。ある子供が「同じ毎日が幸せだった事に気がついた」と疲れた表情で語っていました。またある中学生は「私たちは(老人に比べて)動ける。私たちがやらなければ」と炊き出しやトイレ掃除、幼児の相手をしたり、率先して動いているそうです。沢山の物を失った時に見えてくるものがあったようです。この子たちの将来に幸多きことを祈らずにはいられませんでした。
 聞きなれた言葉でしょうが、「困った時はお互いさま」です。今できる私たちの精一杯の援助をさせて頂きましょう。       
   合 掌

桜の花

失礼いたします。 妻です。
震災より三週間、未だにテレビで見る被災地は状況の変化が乏しく、それほどに地震と津波の影響力がすさまじかった事がわかります。
被災地に支援をしに行き、帰ってきた方々の声を聞くと「テレビでやっていることは一部で、想像以上」と言っていました。

娘を探す老人の方や、母を探す高校生と中学生の子供、妻が分からないと幼子を抱く男性の姿、移し出された画面を見るたびに毎日のように泣いてしまいます。
私が泣いた所で、何もないのですが・・・。

山梨は桜が咲きだし、近くの神社も色華やかになってきました。
同じように桜は、今年も咲きました。

仏教で「無常」と言う言葉があります。
楽しい時も続きはせず、また悲しみも同じ、常に変化し続ける。

桜の花が被災地にも咲き、皆様の心が少しでも癒されますように、祈っております。

そして皆、一人残らず、愛しい家族の元にお帰りになりますように!
                  合掌